プロジェクト概要
【強制撤去に関するお知らせ】2020年2月6日追記
2月1日に政府の強制撤去がワンラブランドに入り、建物は壊され、退去を強いられてしまいました。今回ご支援をお願いしてした洪水では、ワンラブランドだけでなく、さらに川の下流の人たちにも大きな被害を及ぼしていました。
それに危機感を持った政府は、これ以上ここに人を住まわせるわけにはいかないと判断したのでしょうか。。。数日前「すぐに出ろ」と言われ、あまりに急だったので躊躇していたら、翌日ブルドーザーを持ってきて、強制的に建物を壊されてしまいました。
その様子は動画と写真をご覧ください。
今回は洪水からの復興支援という事で支援のお願いをしておりましたが、残念ながら移転を強いられることとなりました。
今回のクラウドファンディングで頂いた支援金については、強制撤去に伴う移転費用に充てさせていただければと思っています。
これからかかる移転費用についてはまだ想像もつかないくらいの多額の経費を必要としています。新しくスタートする活動や経費が明確になった段階で正式に新しく移転のための支援のお願いをさせていただければと考えております。
今は少しでもたくさんのお金が必要となっておりますので、引き続きこちらの窓口からご支援いただけるととても助かります。どうぞよろしくお願いいたします。
※支援金の用途が変更となりますので、返金をご希望の方がいらっしゃいましたらinfo@haronoya.comまでご連絡ください。
2019年12月25日、世の中の多くの人はクリスマスを祝っている時でした。ガテラと私はクリスマスを祝おうと、場末のバーに行った帰り、雨がポツポツと降ってきたと思ったら、あっという間に道路に水が溢れてきました。
過去3度洪水の被害に遭っていたため、慌ててワンラブランドに戻った矢先、塀が崩れ、そこから泥だらけの濁流が流れ込みました。どんどん増していく水は、車のヘッドライトが隠れるくらいの高さに達しました。こうなると人は何もできません。轟々と流れる泥水を前に、途方に暮れたクリスマスの晩。
翌朝ワンラブランドを見回すと、すべての所が壊滅状態になっていました。義肢製作活動資金の収入源となっていたレストランとゲストハウス。ベッドもマットレスも、冷蔵庫・飲み物・食器類、どれも溜まった泥水の中に浮いている状態…。ワンラブランドに敷き詰められた石は掘り返され、ぐるっと囲ってあった塀のあちこちが崩壊しています。ガソリンスタンドからガソリンタンクが流れてきて、それが塀を直撃したのです。外から敷地に入るための橋げたも水圧でえぐられ、車は入ることができない状態となっていました。また水に浸かった車は壊れ、エンジンがかからなくなってしまっています…。
その日からずっと近所の人たちに手伝ってもらいながら、復旧工事を進めておりますが、工事に必要な資材、人件費などが必要となっています。ワンラブランドが完全に復旧するのはかなり厳しい状態ですが、それでも流れ込んだ泥を掻き出し、壊れた部分を最低限修理しなくてはならず、どうぞ皆さまのお力を貸してください。
洪水の原因と様子
ワンラブランドはルワンダで障害者支援を始めようと思った時(96年)に、ルワンダ政府と交渉を進めた上で、無償で提供してもらった土地です。広さは1.5ヘクタールほど。
もらった時はそこには何もなく、近所に住んでいる人たちが勝手にバナナや豆を栽培している土地でした。
そこを一から開拓し、レンガを作り、そのレンガを使って建物を建てました。また自然を大切にしたいという思いから、小さな苗木を買ってきて、植樹しました。
その木は今立派な木になっており、朝は鳥の声で目を覚まし、夜にはフクロウがやってくる森になっています。
そんなとても気持ちの良い場所ですが、実は立地条件はあまり良くありません。
道路から一段低い場所にあるため、雨が降ると一気に水が流れ込みます。
土地の中には川が流れていて、雨水が川に流れ込み、水かさがあっという間に増してしまうようなところです。
活動を始めた頃は問題はなかったのですが、世界的な気候変動のせいでしょうか。
大雨が降りやすくなり、また都市開発のため道路は舗装され、降った雨水が地面にしみ込まなくなり、それらの水が大量に川に流れ込み、過去3度洪水の被害に遭いました。
大切に撮りためた写真、義肢製作所にやってくる患者さんのデータ、義足作りの材料、その他多くのものを失いました。だからそれ以来雨が降ると洪水になるのではないかと恐れながらの日々でした。
そんな時、今回4度目の被害を受けたことになります。そしてその被害は過去最大のものとなってしまったのです。
ワンラブの活動
ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトは97年からルワンダの首都キガリ市に義肢製作所を設け、義足作りを続けています。
ルワンダはベルギーの植民地政策により、国民を強制的に3つの民族に分断され、差別するような政策を取られ、国民の心に憎しみの心が生まれてしまいました。
59年ツチと呼ばれた人たちに対する虐殺が始まり、94年には3か月に100万人以上が殺される大虐殺が起こりました。
ワンラブはそれら虐殺の被害に遭った人、また事故や病気で障害を負った人たちに対し、無償で義足を配る活動をしています。
現在までに延べ9000人のルワンダ・ブルンジの人たちに義足や杖、車いすなどを配ることができました。
義足作り以外にも、経済的に自立できるように障害者に対して職業訓練を行ったり、雇用を増やしたり、また精神的に前向きになってもらうようパラスポーツを行っています。
2000年にはワンラブの呼びかけにより、ルワンダで初めてパラリンピックに選手を送り込むことができました。
※ワンラブプロジェクトの詳細についてはこちらのサイトをご覧ください(http://www.onelove-project.info/)
これからのこと
今回の洪水でワンラブランドは大きな被害を受けました。
過去3度の時は、それでも何とかレストランやゲストハウスの運営を再開し、現在まで続けてきましたが、こう何度も被害を受けると、その都度修理に大きな費用をかけることができなくなってきています。
またこれまでの傾向を振り返ると、この先洪水の被害を受ける可能性は増えていくと思われます。
それを考慮した上で、今回は最低限の修理を施し、レストランのみ運営を再開させ、またワンラブとして長い目で活動を続けるために、移転をする方向で考えています。
場所はガテラ家の所有している土地で、今よりはずっと狭くなりますが、義肢製作所として使うには十分な広さがあります。
そこに建物を建て、安心して活動が続けられるように現在は計画を立てています。その建築については、また改めて皆さまにお伝えしたいと思います。
今後は被害を受けたところを修理し、義足作りを続けながら、移転計画を進めていく予定です。
※復旧作業に取り掛かるスタッフたち
修理が必要とされていること
1 崩れてしまった塀の修理
ルワンダは治安は落ち着いているものの、外部から泥棒が入ることもあります(実際、洪水の翌日、泥棒が入り、物を盗まれました)。治安確保のため、ワンラブランドを囲うための塀の修理が必要です。
2 掘り返されてしまった土地の整地
ものすごい勢いで濁流が流れ込んだため、あちこちの敷石が掘り返されてしまいました。ワンラブには足の不自由な人たちがやってくることも多いため、その場所を平らにし、歩きやすくしなければいけません。
3 建物の中に流れ込んだ泥の除去
かなりの量の泥水が建物の中に入ってきました。部屋の中はその時の泥にあふれています。
4 割れたガラスの入れ替え
水の勢いで、窓のガラスが大量に割られました。盗難を防ぐためにも、ガラスの入れ替えが必要です。
5 壁の修理、ペンキなどの塗り直し
泥水のため崩れ落ちた壁もあるので、修理とペンキの塗り直しをしなくてはいけません。
6 消毒作業
汚い水も大量に流れてきたため、消毒が必要です。
7 河岸工事
流れる水にえぐられた河岸の補修(土嚢を積むなど)。
8 それらにかかる人件費
近所の人たちの力を借りながらの復旧作業です。一人一人の日当は日本円で300円ほどですが、ワンラブランドは広く、また人海戦術で繰り広げなくてはいけない作業もたくさんあるため、人件費が必要です。
必要な経費
これらの作業をするための費用として、140万円の予算を計上させていただきます。
①建築資材費(トタン・セメント・ペンキ・木材など):610,000円
②消毒のための費用:150,000円
③修理に必要な道具類にかかる費用(シャベル・ピッケル・猫車・軍手・ホウキ・土嚢袋など):100,000円
④人件費(300円x40人x45日):540,000円
洪水で水に浸かったものであっても、きれいにして使えるものはそのまま利用します。例えば倒れてしまった木や敷地内の竹などは、塀を作るために利用する予定です。再利用できないもの、どうしても新しいものを買わなくてはいけないもののみにお金を使うこととし、基本はできるだけ再利用を目指します。
ルダシングワ真美からのメッセージ
過去3度洪水の被害に遭いましたが、4度目の今回は今までにない大きな被害となりました。正直、洪水の翌朝ワンラブランドをぐるっと回った時は、この先どうしようかと途方にくれました。
ルワンダ政府からもらったこの土地。全く何もないところから、自分たちでレンガを作り、木を植え、今の形になりました。だから思い入れは非常にあります。建築会社などを通して建物を建てたわけではなく(建築会社を通すとマージンを取られてもったいないから)、すべてガテラのイメージや、また少ない予算からコツコツと建てたので、多少歪んでいるところがあったり、ドアが開けづらいなどの問題点はありますが、私たちにとっては大切な活動の場。ここで今までたくさんの人に支えられながら、障害者支援を続けてきました。
ある時はスタッフと喧嘩をしながら義足を作り、ある時はみんなでお疲れさんのビールを飲んだり…。そして義足を手に入れた人たちは、家族を増やしたり、仕事に就いたり。でももしかしたら相変わらず飲んだくれてしまっている障害者もいるかもしれません。20年以上に渡る思い出がここには詰まっています。そしてそれは私たちだけの思い出ではなく、支援してくれた人たちの思いがたっぷり詰まっています。
でもある時から、洪水の心配なしでは活動をできない状態になってしまいました。ルワンダは大虐殺後、都市計画がどんどん進んでいます。しかし一方でその都市計画の雑さも目立ちます。
ワンラブランドを流れる川の上流地域の道路を舗装し、排水溝を作り、そのため雨水が地面に還らず、下流地域に住む人たちは、雨のたびに被害を受けるようになりました。今回の洪水でも20人近くの人が亡くなり、行方不明の人、そして住み家を失い、屋外で寝ることを強いられている人たちがたくさんいます。
ここは政府からもらった土地なので、勝手に出ていくわけにもいきません。都市計画が進められる中、そう遠くない将来立ち退きを迫られる可能性が大きくなっています。でもそれまではここにいるしかありません。本来であれば、障害者支援、つまり私たちにとっては義足を作るということに専念できれば良いのですが、残念ながら今は洪水被害の恐怖と戦いながらの活動となっています。
ただ本来の業務である障害者支援にできる限り予算をかけたいと思っていることに変わりはありません。だから今回の被害を受け、本当に最低限の修理だけしたいと思っています。
ワンラブランドを訪れたことのある人は、クリスマスの翌日の状態を見たらきっとびっくりしていたことと思います。少しずつでも修理を施し、あの頃のワンラブランドに戻せればと願っています。
どうぞ皆さま、ワンラブが再び障害者に安心して義足を配布できるように、お力を貸してください。よろしくお願いします。ガテラも私もあの状況を見て、驚いて途方に暮れたことは間違いありませんが、必ずやまたワンラブを軌道に戻しますので、皆さま期待していてください。
2020年1月11日
ルダシングワ真美
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2020/2/6
【ただ動く。愛しいものと。】
ワンラブランドが壊された投稿をして、たくさんの人が励ましの言葉をくれました。私たちのことを心配してくれて、どうもありがとう。
そりゃ、泣きたいことは山のようにあるし、この先どうなるのか考えると、不安で胸がいっぱいになる。でも私より傷ついているのはガテラ。自分と同じ立場の障害者の生活を改善しようと、虐殺後のルワンダでいろんなことと戦いながらやってきた。それを同じルワンダ人の手によって壊された心の痛みは、計り知れない。だからそんな彼の心を後ろから支えていきたい。
もちろん強がっているガテラも弱音も吐くし、愚痴も言う。が、それを言ったところで過ぎてしまったことはもう変えられない。だから今日も声を枯らしながら、作業の指揮を取っている。やはり私は彼の強さに惹かれたのだと、その姿を見て思った。だから私も凹んでいられない。障害者のためという表向きの言葉も使えるが、結局自分たちのために、自分たちの意地のためにこれを続ける。
今日も建物の解体と荷物の移動。23年分の建物を壊し、荷物を移動させるのはそんなに簡単じゃない。まだしばらく続くだろう。
そして今は一円でもお金が欲しいので、壊した建物のスクラップを売りながら、それを資金として使っている。鉄板で作られたドア・窓枠、屋根のトタン、使っていたトイレや洗面台、それらすべてが今の私たちの宝である。
ずっと昔、日本の神社でガテラが引いたおみくじに「お前の財産はゴミの中にある」と書いてあり、二人でその文句をとても気に入っていた。そして、そのおみくじは見事に当たったわけである。
昨日、水浸しのレストランの中から子猫の声。水浸し、泥だらけになった猫が必死に助けを求めてた。それを見たガテラはその子を助け出した。そして私の元に連れてきた。
寒さに震え、必死にしがみついてくる子猫が愛おしかった。代替地に連れていき、早速先住猫とふざけ合う。死なないで良かったね。
嫌なこともあるけれど、一つの命がつながった喜びも感じることができた。
だから今に見てろよ。2020年2月6日
ルダシングワ真美 -
2020/2/4
【ワンラブランドよ、さようなら。】
2月1日たくさんの人に愛されてきたワンラブランドはなくなりました。政府の強制撤去が入り、建物を壊され、退去を強いられました。
ワンラブは長く続けるつもりでスタートした活動です。落ち着いて活動ができるようにと、政府に活動場所の提供をお願いし、ガテラが1年かけて政府から譲ってもらった土地です。
な~んもないところでした。草が勝手に生え、市民が勝手に農作物を作っていました。資金のなかった私たちは、建物を建てるためのお金もなく、その土を使ってレンガを作り、そのレンガで建物を建て始めました。たくさんの人が泥だらけになって力を貸してくれました。だからここは自分たちの力で作り上げた場所です。一からスタートした所です。
2005年ころから、この地域が湿地帯であるということが強く言われるようになりました。確かに低地にあり、建物を建てる時も水がにじみ出てくるようなところでした。だから基礎をつくるにも余計に費用がかかり、大変でした。
そして地球の温暖化のため、雨がたくさん降るようになり、さらに国の都市計画のため、道を舗装し、排水溝を中途半端に作り、ますます低地にあるワンラブランドに水が流れ込むようになりました。
だからこの湿地帯に住む人、商売をしている人たちは立ち退くべしという噂が流れ始め、私たちもいつそれが来るかとずっと心配していました。
そんな状況の中、雨がますます降るようになり、皆さまもご存知のようにクリスマスの晩、ワンラブは大きな被害を受けました。洪水の大きな被害は全部で4回ありました。その日はワンラブだけでなく、さらに川の下流の人たちにも大きな被害を及ぼしました。
それに危機感を持った政府は、これ以上ここに人を住まわせるわけにはいかないと判断したのでしょうか。数日前「すぐに出ろ」と言われ、あまりに急だったので躊躇していたら、翌日ブルドーザーを持ってきて、強制的に建物を壊しました。その様子は動画と写真を見てください。
幸い代替え地を提供してもらったものの、町からは遠く、とても障害者が自分の力で来ることができないところです。しかし今はそこしかないため、自分たちの住居も含めて、移転しました。
現在、自分たちで建物の取り壊しを行い、中の荷物を代替え地に移動させ、代替え地では自分たちの住むスペースを整え、義肢製作所となるところに機械の設置などをしているところです。それらの作業については、また追って投稿したいと思います。
そんなわけで、ワンラブが始まって23年、そしてこの場所に移動して20年経った今、残念ながら政府の政策により、悲しい結果となった次第です。
ただ私たちは決してルワンダでの障害者支援の活動を止める気はありません。私たちにはこれしかありません。だから何とか良い方向に向かうよう、これからも努力をしていきたいと思います。
幸い、ワンラブランドからちょっとだけ離れたところに、ガテラの所有している土地があり、去年読売国際協力賞をいただいたときの賞金を使いながら、少しずつ終の棲家を作り始めていたので、完成がいつになるかはわかりませんが、将来そこに移り、またしっかりと義足の製作をしたいと思っています。それまでは政府からの代替え地で少しずつ義足を作りながら活動を続けたいと思います。
そんなわけで皆さまが知っているワンラブランド、なくなりました。いつかは来ることと構えていましたが、やはりガテラも私も喪失感は大きく、かといって悲しんでもいられないので、今日もサモサと牛乳を口にしながら、再び泥だらけになり、建物の解体、荷物の移動をしております。
どうぞ皆さま、私たちが一日も早く元通りのワンラブになれるよう、応援してください。みんなの応援が私たちの力です。そして今回の帰国時には、新しい建物を建てるための資金のお願いをしてしまいますが、ご協力が可能な方、どうぞ私たちに資金援助をしてください。
そしてこの現実を一人でも多くの人に拡散していただけますよう、お願い申し上げます。2020年2月4日
ルダシングワ真美